2001/02/12から2005/01/05までに書き記した、覚え書きに近い日記です。
2005/07/15に移転作成しました。
CategoryやArchive、Searchより各記事を参照ください。
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随時画像をアップ予定です。
2000-01-01(Sat) | このブログについて
言葉とは本当のことを伝えるために使われるが、
同時に、嘘を伝えるためにも用いられる。
ならば嘘を言わなければ良いと言うのか?
黙っていれば嘘ではない?
自分が語らなければ、その思いを、相手は、得ることが出来ない。
それは嘘と等価だ。
真実を言葉にしない事、それはまさに嘘と言えるのではないか。
語らなければならない。本当の言葉を。
語らなければ、それは相手に伝わらない。
〜〜〜〜〜
それでも時折考える。
嘘をつくことが自分の本当であり、相手の真実となる。
それは紛いようのない事実だ。
2001-02-13(Tue) | 言葉
言葉は、相手を傷つける。
その言葉は、いともたやすく相手に届く。
なぜならそれは、それを発した者の真実だから。
自分を失い、それの紡ぐ言葉はとても単純で、だから相手に届く。
それとは別に、けれど同じく相手を傷つける言葉がある。
互いに相手を知り、相手を傷つけたいと感じた時、
深く思索されたその言葉は、それを発した者の思う、その相手にのみ届く。
勢いではないその言葉は、それゆえにとても複雑で、周りは気付かない。
そして、それらは互いを傷つける。
前者は言ったものの傷がより深く。
後者は言われた者の傷がより深く。
表面上の傷ではないそれは、きっと気付きはしない。
けれどこの世にはその両方の傷を受ける、悲しくも優しい人がいる。
あなたは、気付いていますか?
〜〜〜〜〜
考えても、しかし自分がそうであると気付く者は、きっといない。
だから、言葉は今日も傷を作る。
2001-02-14(Wed) | 言葉
携帯を使っていろんな物から接続を試みている。
今は、携帯を使ってノートPCからアクセスしている。
昨日はWindowsCEマシンからだ。
考えてみると、自分には結構いろいろなアクセス方法があるようだ。
来週まではこんな状態が続く。
あぁ、携帯そのものからの接続もした。
やっぱりほかの端末と比べると制限はあるが、
自由だな。
2001-02-15(Thu) | 日記
言葉を語るとき、よく相手の目を見て話せという。
相手の目を見て語るとき、どうしてか、それは
無意味に飾られた言葉になってしまう。
相手の本当の言葉を聞きたければ、
相手の目を、じっと見てはいけない。
相手が発した言葉に耳を傾け、
自分に言葉が届いたならば、その一瞬、相手の目を見る。
〜〜〜〜〜
相手が自分を見ていないと思ったなら、それは、
そんな風に考えてみる。
「本当」のことが、相手と面と向かって言える・聴けるやつは、そう、居ない。
2001-02-15(Thu) | 言葉
言葉を書く
言葉は文字として、保存することが出来る。
だが、果たしてどれだけのものが保存できるのか。
言葉にあって文字にないもの。
言葉の起伏、抑揚。
この文章を読む人はどういう風に読んでいるのだろうか?
上の文章は最後に疑問符が付加されたことで、
語尾を上げたように読んだろうか。
それは本当に自分の考えているものと一致するだろうか。
多分しないのだろう。
書くと言うことは、それを自分で書けば、まだ正確ではあるが、
人の言葉を聞き、それを文字として書きあらわすとき、
そこにはまた解釈の違いが生まれている。
「ことばのききかた」
「言葉の聞き方」と「言葉の聴き方」では、同じだが印象が違う。
上記程度の物ならば、聴き手の感じた物が文字として残るのは、
それで真実なのかもしれない。
でも……。
自分が読む事のある、
文字になった言葉は、
その本人が書いた物でない限り鵜呑みにしてはいけない。
そこには語り手の意図しない、不完全な文字が残っているだけなのだから。
〜〜〜〜〜
翻訳された言葉なんかその最たるものだろう。
だから、翻訳本は好きではない。
じゃあ原文を読むのか?
……読めないんだなぁ。
あぁ!日本語万歳!
読める人はうらやましいものだ。
2001-02-16(Fri) | 言葉